わからない
つまらなかった。
子供の頃は、とてもつまらなかった。
子供の頃は、分からないコトばかりで、とてもつまらなかった。
大人の中にいても、言っているコトがまるで分からないし、それはとても退屈。
外国語はもっと分からないが、その点では同じ。とてもつまらない。
分からないと、とてもつまらなく感じる。
ただ、それを経て、いつの間にか理解が出来るようになってくる。
おそらく、つまらないというのは、どうしても通らなければならない、道なのだと思う。
このつまらない感覚を経ないと、たどり着けないのだと思う。
つまらない中に身を置いて、積み重ねて身につくのだと思う。
つまらなくて退屈なら、それは進んでいる証拠。つまらない中にわけ入って、それを味わっていく。
それぞれの世界には、それぞれの決まりゴトがある。その決まりゴトが多いほど、辿り着くのは困難になる。
つまらない時間も、おのずと長くなり、まったく分からない世界の中に居続けるコトになる。そんなモノなのかもしれない。長いつまらない時間を、喰らって、そうじゃないとたどり着けないコトもあるように思う。つまらないも、本当は悪くない。そう思う。