つづける
単発。
単発の連続。
単発の連続が、続けると言うコト。
中身は関係ない。10年続けば、それだけでホンモノになる。
続けるというモノのウラには、何があるのだろう。
物事を10年も続ければ、いろんなコトがある。立体的になり、その関係性もよく見えてくる。
その間自分の生活形態も変わり、私生活でもいろんなコトが起こる。
10年間を一本の道に伸ばした時、始めた頃には想像も出来ないような出来事が詰まっているハズ。
その想像できなかった所に、何かを感じる。それが、ナニかとても重要なモノと、感じる。
続けるモノとは関係のない、そのモノが重要と感じるのは、どうしてだろう。
10年を、物事だけやっても、薄い。その物事だけでは、ペラペラに映る。
ホンモノというのは、物事にそのヒトの人生も乗せてくる所に、あるように思う。
それは、一つの目線では成り立たないというコト。いろんな目線で、いろんな思いで進めなければいけない。
いろんな目線、いろんな思いが、ペラペラを立体にさせていく。
このブログも、丸4年強。10年続ければ、今とは違う目線で、見えてくるのかもしれない。
今では想像できない、別の方向に舵を切っていくかもしれない。
ホンモノになる為には、違う目線や、違うモノゴトとぶつかりながら、気持ちを保っていく、その強さを求められる。
一つずつしか物事はできない。でも、時にはそれが許されない。その時にどうするか。
経験を積み、タフになっていく。経験は、ヒトを強くする。10年の経験は、全方向に強くしてくれる。
一つの方向では、確かに貧弱。続けるコトで、鍛え上げられる。続けるのは、いろんな不確定要素を、呑み込んでいくコト。現実として、目の前に立ちはだかるそのモノを呑み込んでいく。ホンモノは、その上に組み上がる。