ひどい
どこまで、そうなれる。
どこまでヒトは、そうなれる。
どこまでヒトは、酷くなれるだろう。
ヒトはとても、酷いコトをする。それは自分を守ろうとする気持ち。もしくは、自分とは違うから何をしてもイイという考えから。
触れられたくない所に触れられた時、ヒトは平静では居られない。
チカラ関係で勝っていれば、そのヒトに対して酷いコトをしかねない。
自分と違う存在という考えも、酷いコトをする。子供がアリンコを踏みつぶすように、何の罪悪感もない。
ただ、ヒトはそこまで本当に酷いのだろうか。ヒトの本質は、そこまで酷いのだろうか。
触れられたくない所があるのは、ヒトの弱さ。
自分と違うという考えは、経験不足。
触れられたくない、ヒトの弱さは、逃げ場の無さ。肯定してくれるヒトがいれば、そこに逃げ込める。
逃げ込めればやり過ごせる。酷いコトをしてしまわずに済む。
自分と違うという考えの経験不足は、経験する他はない。
踏みにじられる、アリンコの側になるしかない。酷いコトをされて、それで気づいていくしかない。
酷いコトをされる側にならないと、酷いコトをしてしまう。
どれほどの差もない。経験して、それを知る。酷いコトをする側も、酷いコトをされる側も、かわらない。差はどれほどもない。
どちらがアリンコでもないし、神様でもない。第一、神様はアリンコを踏みつぶさない。
ヒトが酷いコトをするのは、自分が愚者で良いんだという、肯定が無いから。
全てのヒトは特別で尊いが、同時に全てのヒトが愚者であるというコト。
愚者でイイ。そこは認めて肯定してイイ。どの人も尊重されるべきだが、愚者であるコトも肯定したい。
一生懸命生きて、それでも愚者ならそれでイイ。愚者を拠り所にすれば、楽になる。ご立派になるほどに、窮屈で、息苦しい。愚者の方がイイ。もっと自分の愚者さ加減を、肯定してイイ。それで酷いコトを、しなくてよくなる。