しんか
どちらが先か。
社会と、ヒトと、道具と。
社会の進化と、ヒトの進化と、道具の進化と、どちらが先だろうか。
社会はヒトが作るモノ。人びとが作るモノ。正確には権限のある人間が、作ってきたモノ。
誰が作ってきたにしても、たくさんの失敗をくり返してきたのは、事実。
その失敗から沢山を学び、社会は進化してきた。
道具の進化は、誰かの発見や発明により、急速に進む。爆発的に、他のコトも進化する。
突然、一つの発見により、世界を変えるほどのインパクトを持つ。それが道具の進化。
ヒトの進化はどうか。ヒトの進化は、自分の進化。自分自身がどれだけ変わったかによる。
ヒトの進化だけは、自分が変わらないといけない。それだけに進化しやすいと言えるし、進化しにくいとも言える。
この人の進化は遺伝子の進化ではなく、自分の考え方をさしている。それだけに、すぐ変われるし、変わりづらいと言える。
さて、社会と、道具と、ヒトの進化は、どれが先だろうか。
道具の進化は、一見無関係のようにも見える。それでも、世の中はそれでガラリと変わる。
道具の進化の上にのっている、ヒトや社会の進化もある。まったく関係ないとは言えない存在。
社会の進化にひっぱられて、沢山のヒトの考えも変わる。影響力が大きいのが、社会の進化。
ヒトの進化は、少しずつしか変わらない。ちょっとずつちょっとずつ、伝染していくモノ。
ただ、これがいろんなモノの土台にはなっている。ヒトが進化しなければ、道具や社会の変化も期待できない。
道具が先なのか、ヒトが先なのか、社会が先なのかは分からない。ただ、それぞれが影響し合って成り立っている。
今この世の中があるのは、それぞれの進化、どれがなくなっても成り立たない。その上に築かれている。
社会にしろ、ヒトにしろ、道具にしろ、その進化は天から降ってくるモノではなく、地から沸いてくるモノでもなく、ヒトが苦しみの中で産み出してきたモノ。
その多くの苦しみが、結晶となって現れたのが進化と言える。
華々しい進化の陰にあるのは、沢山の苦しみ。その苦しみを越えて、進化という果実を結ぶ。
さて、ヒトはなぜ、進化するんだろう。生命はなぜ進化を求めるんだろう。おそらくそれが生きた証しだから。苦しんで生きた証しを、残したいのだと思う。進化は、生命だけでなく、道具や社会でも起こる。そのウラには、沢山の苦しみが隠れているコトは、意識したい。