やめる
楽になる。
それで楽なる。
やめれば楽になる。
逆に言うと、やるというのは苦痛。そういって良い。
なぜ、やるのだろうか。やるというのは苦痛でしかない。
何もしなければ、楽なままで居られる。
ヒトは楽を求めるが、楽だけでは退屈。
生きている以上、いろんな事をやる。このやると言うのは苦痛なのに、人はそれをする。
動かなければ、何もしなければとても楽。それでも人は、何かをやる。沢山やる。
動かずに何もしないのは、ある意味死んでいるのと同じ。命ないモノは、動かない。
ならば命ないモノは、とても楽と言うコトになる。その楽の状態が永遠に続く。
命あるモノは、動く。その段階で、苦痛は始まる。それなのに、なぜ生きようとするのだろう。いろんな事を、やるんだろう。
生と死、苦痛と楽。苦痛が伴わない、生はあり得ない。動いていれば、それは苦。動くコト自体、苦。
命ないモノは、絶対的に楽で、退屈。変化もなく、主体性もない。何もしなくても良い。ただ、そこに居るだけ。ずっと。
命あるモノは、主体的に、動く。退屈から解放され、思うままに生きる。それは、苦痛の始まり。
自分を消耗して、苦しむコトを楽しんでいる。なぜそんな苦しむコトをするのかと言えば、死ぬわけにはいかないから。
生きている気がするから。それが的確な答え。
苦しいは楽しい。望んだ苦しみなら、なお楽しい。苦と楽は反対ではない。苦と楽は同じで、退屈が反対の意味。生き物は、可能性を求めていろんな事をやる。それは苦しい。それだけに楽しい。