そうあたり
研究。
それが研究。
可能性を総当たりで潰していく、それが研究。
考えられるだけの可能性を、当たっていく。答えが出るという保障はない。
それでも考えられる可能性を、潰して埋め尽くしていく。
最初は諦める。出来ないという考えが先に立つ。
でも、一度でも答えを出せれば、今までが臆病だったコトに気づく。
そのうちに答えに向かう感覚、嗅覚も鋭くなっていく。
答えが出る保障がないのに、何でそれをするのかと言えば、答えにたどり着けるコトを分かっているから。
なんとなくそんな気がするから。絶対的ではない、それでもそんな気がする。それに突き動かされて、やり続ける。
たどり着くまでに、どれだけたくさんの失敗を重ねるかも、想像がつく。それでもやる。
辿り着くコトが分かっているので、決して諦めない。
これはヤミツキになる。答えに辿り着くほどに、感覚は研ぎ澄まされ、嗅覚も鋭くなる。
解決できる問題が、最初からなんとなく分かるようになる。後は現実をそこに沿わせるだけ。
難しいほど、無性にやりたくなる。ほとんど病気のようなモノ。
優れた感覚を持つほどに、難しい問題に立ち向かえる。そしてそこまでの道のりが長くても、耐えられるようになる。
総当たりの長い道のり。その労力を、平気で払えるようになる。たどり着けると知っているから。
研究は、答えにたどり着くまで、可能性を潰して埋めていく作業。これほど楽しいコトはない。そんな技術者が、日本には沢山いる。研究できるコトは幸せだし、それだけ研究者が居るコトも、とても幸せなコト。今この時もどこかで、可能性は潰されて、答えに近づいている。