ぜろからいち
大きい。
その差は大きい。
ゼロからイチの差は大きい。
まるで無いモノから、1にするのは、大変なコト。
それでも、他のヒトは1では分からない。1では少なすぎる。
100くらい無いと、みんなは分からない。
ゼロからイチにするのも大変なのに、100にするなど不可能に近い。
100で終わりと言うコトでもない。110、200、500、1000、その先はずっと続いていく。
ただ、ゼロであれば、ずっとゼロのまま。誰かが1にしない限りは、何年経ってもゼロのまま動かない。
やはり、ゼロとイチとの差は大きい。
誰かが一滴その道を拓けば、あとのヒトはついて行きやすい。
ゼロではナニも見えない。存在しないのと同じになる。
でも、1にしたとしても、そのままで終わってしまうことも多い。せっかく1にしたのに、続かず消えてしまう。
継続、継承して、物事は育っていく。継承がないモノは、1からまたゼロに戻る。
ゼロからイチにする能力と、1から100にする能力は、別物。2つ必要と言える。
楽は出来ない。二つ無ければ、またゼロに戻ってしまう。それが嫌ならやるしかない。
それでも、2、3、と進み、10になり30になっても、後が続いてくれなければゼロに戻ってしまう。
それは自然淘汰だろうか。
自然淘汰という言葉は、とても残酷。とても無責任な言葉と思う。
自然淘汰なのかもしれない。ただ、その中にはモッタイ無いモノも、沢山あるように思う。
もしも自分が淘汰される側としたら、それほどくやしいコトはない。
おそらくそう思いながら、沢山のモノが淘汰されていったのだと思う。
ゼロを1にしても、淘汰されてしまう。人知れず、まるで無かったコトになってしまう。
この世の中で、沢山のそれは起こっている。
産声を上げて、そのまま消えていく。そんなコトが沢山起きている。
仕方のないコト。ゼロから1に。そしてそこから100に。そこまでが務め。慣れなくても、やるしかない。
どれだけ沢山のモノが、淘汰されてしまったのだろう。気づかずに、見逃されて、消えていってしまったのだろう。今でもそれはどこかで起きている。そういうモノと、割り切るしかない。残っているモノは一握り。それも良いモノとは限らない。仕方ない。世の中は、そういうものなので。