えすかれーしょん

きょぜつ

きょぜつ

それもいい。

完全でなければ、それもいい。

完全拒絶でなければ、それも良い。

条件拒絶なら、それはいろんな方向で、役に立てる。

拒絶というのは嫌なモノ。そのようなモノは、とても避けたい行為。するべきではない行為。

それでもそこに条件があり、満たせば拒絶が解除されるなら、あってもいい。

使い方次第で、ヒトを素晴らしい方向に導ける。

自由の権限を守りながら、ヒトを導くコトが出来る。

まずは拒絶があり、条件を満たしたモノは、その拒絶を解かれる。

嫌なモノだけに、そこからは逃れたい。誰でもそこから逃れるコトは出来る。ただ、条件を満たす必要がある。

すると、条件を満たす為に努力する。条件を満たす為に、自制をする。これがとても、役に立つ。

強制ではない。やってもやらなくても、それはそのヒトの自由。自由は確保されている。

その上で、うながしていける。

条件拒絶は、価値を持たせるコトが出来る。拒絶を解かれるコトは、価値あるコト。

その価値は、何でもない場所を、価値あるものに換えるコトも出来る。

条件拒絶で仕切るコトで、価値のない場所に、価値を持たせるコトが出来る。

ネットの世界などは、自由すぎる。このような自由すぎる所は、条件拒絶をして、コントロールした方がイイ。

自由は守りながら、条件拒絶をして、行動を良い方向にうながしていく。

ネットでなくても、自由すぎる所には、条件拒絶をして、自制を求めていけばいい。

差別的な条件は問題がある。それはしてはいけない。でもそれ以外なら、条件拒絶はあってもいい。

相手に、強制でなく自制を求めるのは難しい。自由を奪わず、自制を求めるのは、難しい。でも、条件拒絶なら、それが可能。それでヒトは自由と自制を両立できる。その人に任せながら、うながしていける。

-えすかれーしょん