うめる
ギャップがある。
現実との間にギャップがある。
イメージと現実とのギャップを埋めていく。
イメージと、必ずギャップはある。現実はとても重たい。
イメージの重さはゼロで、現実はとても重い。
その重さが自由度で、一番自由なのがイメージ。一番不自由なのが、現実と言える。
その自由なイメージと、不自由な現実との差を埋めていく。その作業。
その作業が、生きるというコトかもしれない。イメージと現実とのギャップが、必ず埋まるという保障はない。
まるで保障がない中で、その作業をどれだけ進めるコトが出来るか。
道筋が全て分かっていても、簡単な作業ではない。しかも、その道筋すら分からない状態から始まる。
全ては手探り。闇の中のパズルを、ひとつひとつ合わせていく作業。
自分ではイイと思っても、他と比べれば大したコトがなかったりする。それでもやり続けなければいけない。
他と比べて優れていたとしても、ひとつのホンモノに出逢っただけで、打ちのめされたりもする。
それでも立ち上がって、埋めていかなければいけない。ギャップは、ずっとのし掛かってくる。
現実は、そうそう変わる物でもない。埋められるとは限らない。でもヒトは、イメージと現実を埋めようとする。
なぜなら、そこに自分が生きた証しが残るから。ギャップを埋められた分が、自分が生きたという証し。
埋められなければ、自分が生きた証しは残らない。
打ちのめされたり、叩きつけられたりする。それでも、立ち上がってギャップを埋める為の作業をしなければいけない。それが、自分が生きた証しだから。それが、自分の生きた跡になるから。