ぜんたい
分かる。
それぞれの役目が分かる。
全体を見れば、それぞれの役目が分かる。
大きな全体を構成していても、細かく見てみれば、それぞれの役目があるコトが分かる。
それぞれに特性を持ち、それが活きている。より大きな全体を構成するには、沢山の特性が不可欠。
それに気づいて世の中は、構成されているだろうか。
そこには少し疑問が残る。
決して、多様性を認めるシステムにはなっていない。
それはとても必要なコトなのに、認めようとしていない。というよりも、分かっていない。
おそらく全体を見ていない。おそらく、まだ自分の目線でしか見ていない。
その自分目線で、世の中のシステムは構成されている。
というコトは、実質的に必要で、世の中が様々な特性で成り立っているのに、世の中のシステムとしては、その居場所が用意されていないコトになる。
自分のコトばかりで、自分のコトが手一杯で、全体まで見るコトが出来ないのだと思う。
それで、他のヒトの居場所を用意できない。様々な特性を、評価できない。
カンタンに優劣を分けられる方法で、ヒトに点数をつけて一喜一憂しているだけ。
その現状と、実質との地割れが、ずう〜っと世の中で、起き続けている。
世の中のカタチは、なし崩し的に出来上がったなれの果てと、言える。
決して全体を見て、作られていない。このままもずっとそうなのかもしれない。
でももし、全体を見て変わるのなら、それぞれの特性を評価し、居場所を用意できる。
特性は、生まれたままではなく、磨き上げてより輝いていく。
優劣をつけている間は、まだ自分のコトしか見ていない証拠。居場所が無いというコトは、まだ自分のコトしか見ていない印。
ヒトはそれぞれの特性を殺し、世の中のシステムが作った型に、身を合わせている。
全体を見渡して、世の中のシステムを作り替えられれば、それぞれの特性も、居場所も、ピタッとはまるように揃っているというのに。
ヒトが作り出したシステムだけ、自分のコトだけ見て作っている。そんな幼稚なモノ、捨ててしまえばイイものをと、心から思う。
まだヒトは、他のヒトの居場所を作るコトが出来ていない。せせこましい中で、うごめいているだけ。全体から、見えていない。自分の目線だけで、世の中を見ている。いろんな特性があって、うまくいく。居場所を作れていないのは、実にもったいない。