むざい
シナリオ通り。
シナリオ通りになってきた。
清徳丸とあたごの事件で、弁護側は無罪を主張している。
シナリオ通りになってきてしまった。
2008年2月、漁船清徳丸と、イージス艦”あたご”の衝突事故で、2人の尊い命が失われた。
厳密に言えば、捜査していた海上保安庁が、捜索を打ち切った為、行方不明のままになっている。
この事件の一番おかしい所は、捜査をしていた海上保安庁が、一度も記者会見をしていないと言うコト。
一度も、事件を正式に発表していない。公に説明したのは、当事者である自衛隊による、中間報告だけ。
この内容も、うやむやでどちらにも取れるような不十分なモノ。その不十分なまま、裁判に入りってしまった。
どうして、海上保安庁ではなく、当事者の自衛隊の中間報告なのか。
この事件の真実を、明らかにしようとしているのか。それともうやむやにしようとしているのか。この二つから読み解く。
真実を明らかにしようとしているのであれば、双方の主張、そして証拠となる記録を入手した時点で、公にすればいい。
あとは、双方の主張の違いを、科学的に検証すればいい。それで真実が明らかになる。
現実を見れば、ザンネンながらそちらの方向に動いてはいない。うやむやにするシナリオの方に動いている。
まず、真実を語る海上保安庁の口を、圧力で封じる。事実、海上保安庁は、捜査をして充分なログがあるのにもかかわらず、一度も公に説明してはいない。
誰も何も説明しなければ、隠していると言うコトになる。隠して闇に葬りたいのがバレてしまう。
それで、しばらくたって熱が冷めてから、自衛隊が中間報告というカタチで、記者会見をした。
中間報告と言うコトは、足りなければまた説明をするという、逃げ道を残した方法。
世論の熱が冷めたのを見て、それ以上記者会見が開かれるコトは、無かった。
うやむやな方向に、そのシナリオ通りになってきた。あとは、裁判に入るだけ。
法廷は、権力があるモノにとって、正式に逃げるコトが出来る場所と言える。
今回の無罪の主張は、まさしくシナリオ通り。法廷のテクニックを用いて、無罪にまでしようとしている。
検察側の言っているコトは、間違っている。そう主張して、無罪にしようとしている。
この段階で、清徳丸はほったらかしで、検察との戦いになる。それだけで済んでしまう。
海上保安庁に圧力がかけられる存在。それが出来るのならば、裁判官、検察、海上保安庁に、法廷でも圧力がかけられるのは、当然のコト。
とても真実が語られるとは、思えない。
重要なのは、これは自民党政権で起こった事件であるというコト。民主党政権になったのなら、こんなインチキは、見過ごすべきではない。
やるコトは、それほど難しくない。海上保安庁に、初めて公に、この事件を説明させればいい。
そして、沈んだ清徳丸を引き上げればいい。見つからなかったという清徳丸。私は見つかっていて、引き上げなかったと考えている。
これも圧力をかけて、引き上げなかった。引き上げて遺体が見つかれば、国民感情として、イージス艦が殺したというコトになる。
行方不明ならば、それをうやむやに出来る。
民主党には、真実を明らかにするコトを求めたい。うやむやなシナリオ通りに進んでいる流れを、断ち切って欲しい。
権力があれば、うやむやに出来る。うやむやにして、ごまかせるは、全てが歪められる。
権力を持つモノは、真実を歪めるコトが出来る。この漁船清徳丸と、イージス艦あたごの事件は、その象徴と言える。
権力を持つモノが、いつでも正しいのは、未熟な国。この国は、まだそこなのか、それとも成熟しているのか、この事件、そしてこの事件に対する民主党の対応で、明らかになる。