ぼく
大人が使う時。
大人が使う時、どんな意味を内包してるだろう。
僕という表現を、大人が使う時、どんな意味を内包しているだろう。
僕というのは、私より、オレより、自分自身に近い。
私やオレというのは、相手や世間を意識しながらの表現。
でも、僕というのは、相手や世間よりも、自分を強く意識する時に使う。
それだけにとても素直な自分が、投影されるとも言える。
そういった表現は興味深い。最近は、女性男性と言うより、女子男子という言い方をよく使う。
これは女性男性よりも、女子男子の方が、堅苦しくなく、より身近に感じられるからだとおもう。
女性や男性の方が、尊重はされるが、同時に距離も離れてしまう。それで男子や女子が使われる。
僕というのも、自分との距離が近い。私では世間的で、それだけに自分の心と距離が開いてしまう。
オレというのも、相手を威圧し、虚勢をはっているだけに、本当の自分とは言い難い。
僕というのが、一番等身大の自分を表している。
大の大人があまり僕という表現を使うと、違和感を感じる気もするが、それがありのままの姿とも思う。
逆に、世間では大の大人でなければいけない。大の大人を演じなければいけない。それだけなのかもしれない。
僕というのは、そのヒトの等身大、そして本音。世の中ではあまり認められないかもしれない。それでも距離は、一番自分の心に近い。世間の中の自分。それは演じている自分で、心の自分とは距離がある。その距離を縮める時の表現が、僕なのかもしれない。