ひとり
それでいい。
おそらく、それでいい。
おそらく、独りでいい。
他のヒトを、巻き込むわけにはいかない。自らの道は、そこに延びている。
ヒトはそれぞれ違うモノ。それなのになぜ、一緒にいるのか。そちらの方が不自然。
独りで自分の道を行く。その道の行き着く先は、独りだろうか。
永遠と独りというわけではない。いつかはヒトの中に戻ってくる。それが前提の独り。
どうやら、独りというのは状態で、通常は他のヒトの中にいるのが自然と言える。
どうして独りではいけないのか。最初から最後まで独りでも構わないのではないだろうか。
おそらく、最初から最後まで独りだと、苛立ってくる。
全て自分の中で完結する。全て思い通りになる。その独りよがりで、あまりに変化の乏しさに、苛立ってくる。
更には他人に見られず、意見もされないので、自分が崩壊していく。
自分というのは、実は他人が作っている。本当に独りになってしまうと、自分はただ、だらしのない塊に、なってしまう。
自分が自分である為には、ヒトの中での緊張感も必要と言える。
ヒトは本当に独りだと、自分でいるコトも出来ず、崩壊していく。今自分だと思っている自分は、ヒトによって作られている。独りだけなら、だらしのない塊に戻っていく。みんな本来は、だらしのない塊。ヒトの中での緊張感、そして多様な変化、これにより健全でいられる。独りも時としては良い、ただずっと独りでは退屈になるだけ。