そん
なんでもいい。
それがあれば、なんでもいい。
尊があれば、なんでもいい。
アルカイダでも、タリバンでも、米軍でも、大日本帝国でも、核保有でも構わない。
重要なのは、そこに尊重があるか。相手に対しての尊重が、あるかの一点。
逆に言えば、尊重がなければ、神であろうと、警察であろうと、正義であろうと、ダメ。
ヒトが間違いを起こす時、そこには相手に対しての尊重が足りない。
尊重がないので、酷いコトも出来てしまう。尊重があれば、酷いコトは出来なくなる。
アメリカが正しいとか、テロが悪いとか、正と悪では、くり返す過ちの中を、回っているだけ。
重要なポイントは、正と悪の中にはない。
重要なポイントは、相手に対しての尊重の一点。
犯罪も、相手を尊重すれば、起こせなくなる。
相手を尊重するというのが、分かりづらければ、家族のように、大切なヒトと接するようにと言い換えてもイイ。
必要であれば、神や仏と接するようにと、してもイイ。
そうすれば、問題のある行動は、とれない。ほとんど身動きがとれないかもしれない。
それでいい。それだけ、問題のある行動を起こしている。
あまり堅苦しく考えると、窮屈になるので、せめて政府は相手を尊重する、それを必須にしたい。
というより、政府が相手を尊重していなければ、犯罪にしてもイイ。犯罪と指摘したい。
力を持つモノは、相手に対して尊重がなければ、犯罪になる。
ポイントは、相手に対しての尊重。その一点。それがあれば、カタチはどうでも問題はない。それが無ければ、どんなカタチでも、犯罪。重要な分かれ道、それが相手に対しての尊重。