あめりかんどりーむ
条件。
その条件とは何だろう。
アメリカンドリームの条件とは、何だろう。
日本で、アメリカンドリームのようなコトは、可能だろうか。
アメリカンドリーム。何でもないニンゲンが、大成功を収め、巨万の富を手に入れるイメージ。
それは分析すると、どうなるだろう。
まずは、種が必要になる。その提案が無くては、始まらない。
この提案がカタチになり、賛同され、成功につながっていく。簡単にいえば、そう言える。
日本ではどうだろう。まず種になる提案。これを出す能力があるヒトは、存在するだろうか。
これは間違いなく存在する。とすると、沢山の提案が、日本でもされている。
ただ、その段階で横ヤリが入る。まずは、立場の壁。立場が見合わなければ、続行も出来ず、それでもやろうとすれば、妨害されもする。
新たな試みというのは、日本人には恐怖なので、提案は拒まれる。
ほとんどの提案は、かなり早い段階で拒まれ、消滅してしまう。
ジャパニーズドリームは、最初から困難の中にある。
提案をカタチにする段まで進んでも、また妨害が入る。がんじがらめの規制があって、それに足を取られてしまう。
カタチに出来たとしても、やはり新しいモノに恐怖を感じる国民性から、なかなか賛同者が増えてくれない。
おそらく日本から生まれるドリームは、不可能といってイイ。
アメリカンドリームは、本質を見るチカラ、許容範囲の広い自由な環境、面白いモノに飛びついてくれる賛同者があってのコト。
さらにアメリカでも、アメリカンドリームは生まれにくくなっている。アメリカンドリームは、スピリッツだけが残っていると言っていい。
荒野が広がり、まだ可能性があった頃とは違う。アメリカも、成熟し尽くしてしまった。
不足しているモノが減り、満たされてしまった。こうなっては、アメリカンドリームが入るスキマは、ほぼ無くなっている。
そう考えれば、日本も同じ状況。スキマはない。さらに国民性、社会構造から考えると、かなり厳しい。
日本でのアメリカンドリームは、絶望的と言える。
アメリカンドリームは無理。ただ、ソレはお金を追う行為。もしかすると、それ以外の置き去りにしてきたモノを対象とすれば、そこには荒野が広がっているかもしれない。
カタチにするコトは出来ない、もっとヒトの心の中にあるモノ。
きらびやかなライトの当たるステージではなく、庶民の暮らしの中にあるモノ。
そのほんの少しの喜びをくすぐる、提案。それをカタチにしたモノ。
弱者はお金を持ってはいない。弱者ほど、必要性があるのに、お金を持っていない。
では、お金を持たせたらどうだろう。お金を渡せばいい。お金が無いだけで需要は沢山ある。
お金を渡せば、そこに需要もあってお金もあることになる。公共事業ではなく、本当のハンディのある人に、お金を渡してしまえばいい。
そこにはまだ仕事がある。まだ、沢山するべきコトがある。開拓されていない荒野がある。
もちろん健康なヒトを、弱者とは認めない。自らの行為による弱者は、除外される。
お金は流れて行くモノ。流れなければ意味がない。
需要のある、弱者といわれる存在に、お金を渡し新たな流れを作っていく。
国会議員だって、何もしなくてもお金が入る。バッジを付けているだけで、お金が入ってくる。
では、弱者にバッジを付ければいい。発展させるべき所に、バッジを付ければいい。それでお金を渡しても、問題はなくなる。
規制や、法律も、弱者の為に全て改めればいい。それで、ジャパニーズドリームは、生まれていく。
新たな雇用、あらたな産業、そして新たな考え方。新しい社会構造。今までのやり方では、もう行き着く所まで、来てしまった。大きく変えるしかない。需要ある所にお金を流せば、流れが生まれる。それはいろんなモノを育て、ジャパニーズドリームに繋がっていく。