せれもにー
レッドカーペット。
予定通り、淡々と進められる。
セレモニーは淡々と進められる。
ご立派で、格式ある所で行われる。それがセレモニー。
豪華でご立派で、予定調和の中で、ただ進んでいくのがセレモニー。
ご立派に包まれた中では、ヒトはがんじがらめで、それにふさわしい振る舞いを強要される。
振る舞いといっても、予定通り進ませればいい。何も考えず、ただ筋書き通り、演じればいい。
国会議事堂も、ご立派でレッドカーペット。レッドカーペットなど、ハリウッドスターが映画の宣伝や受賞で見るくらい。
結局セレモニー。国会はセレモニー。ご立派でなくては、イケない。
ご立派なモノは、ご立派を演じ、それが出来なければ、ごまかしだす。
ご立派に満たないので、ごまかしでその差を埋めようとする。そんな余計な仕事を、こなさなければイケない。
豪華でご立派な建物に呑まれて、肝心の仕事がないがしろになっていく。
自分のチカラの、100分の1も出せない。豪華でご立派で、レッドカーペットな中では、自分も立派であることを、強要される。
そんな中で、自分の力が発揮できるハズがない。
プレハブで良い。プレハブならば、どれだけ良い政治が出来るか、そう思う。
プレハブならば、ご立派に振る舞わなくて良い。演じるコトも、ごまかすコトもしなくて良い。
実をヤルのはプレハブ。セレモニーは国会議事堂でやればいい。
マヌケなごまかし劇を、何十年やってきたのか。これからもやるつもりなのだろうか。考えただけで、頭が痛くなる。
諸悪の根源は、国会議事堂にある。豪華でご立派で、レッドカーペットな国会議事堂にある。
レッドカーペットなど、ひっぺがしてしまえばいい。板の間か、クッションフロアで充分。
ヒトは、まわりの環境にも縛られる。環境に影響され、それを強要される。そのひとつの例が、国会議事堂。中身のない、セレモニーならピッタリと言える。ただ、中身のあるコトを求められている。プレハブで良い。プレハブでなければ出来ない。出来ない一つの理由が、実は建物の立派さにある。そんな意外な真実。