えすかれーしょん

くろう

くろう

どこだろう。

どこにあるのだろう。

苦労は、どこにあるのだろう。

苦労はそこら辺に落ちている、そういうモノだろうか。

どこを探しても、それらしきモノは、落ちてはいない。では、苦労はどこにあるのだろう。

苦労は、ヒトについてくる。そのヒトの社会のポジションについてくる。

そして、お金が不足した時についてくる。

社会のポジションが悪ければ、耐え続けるしかない。

自分の責任ではなくても、耐えるコトを強いられる。

お金が不足していれば、ガマンしなければイケない。優先順位をつけて、最低限必要なモノだけで、すごさなければならない。

社会的なポジションが高くて、お金を持っていても、苦労がないワケはない。

ポジションが高くて、お金を持っていれば、それなりの振る舞いを求められる。

まるで人形のように、振る舞っていくしかない。

さらにまわりにはイエスばかりの、ウソつきのかたまりが集まる。

この人形のような、自分。そしてウソつきだらけのまわり。気苦労と、自分もウソに染まっていくコトになる。

ポジションが高くて、お金が足りていても、イイなりの苦労は待っている。

どうやら、どこにいようが苦労は、ついて回る。

生きている以上、いろんな苦労が、全てヒトに降りかかっている。

とはいえ、もちろん個人差はある。軽かったり重かったり。早かったり、長引いたり。

苦労の形態も様々。その苦労を、その時に学べばいい。みんな苦労の種類が違う。自分の苦労だけを、その時に学んで自分の痛みに刻めばいい。ヒトそれぞれに、それぞれを学んで、成長している。苦労は、学ぶ為の教材と言い換えられる。

-えすかれーしょん