たちむかえる
条件。
その条件は何だろう。
立ち向かえる条件は、何だろう。
それは、最初の一歩から決まる。逃げてしまうニンゲンは、行動を起こそうともしない。
それは仕方がない。立ち向かった所で、良い結果が出るという保障など無い。
それをうすうす感ずいて、行動を起こさず逃げてしまう。最初から、無理だと分かってしまっているコトになる。
そう、もともと無理なコトには間違いはない。だから、逃げてしまう。
いや、最初は立ち向かっても、とてもかなわない。かなわないと知ったニンゲンは、取り繕う。
自分のプライドの為に、カタチを取り繕う。
ご立派でふさわしい人達は、取り繕わなければいけない。ご立派で居続けなければ、存在できない。
そういう人達ならば、立ち向かわず逃げてしまうのも、当然と思う。それは正しい。
でも、逃げてしまっては物事は解決しない。問題は解決しないで、野積みになっていく。
無理だと分かっていても、立ち向かうニンゲンが必要になる。かなわなくても、挑み続けるニンゲンが必要になる。
それは、ご立派なヒトでは出来ない。守るモノがあるヒトでは、出来ない。
身軽で、世の中でどうでもいいポジションのニンゲンでなければ、立ち向かうコトが出来ない。
どうも、ご立派でふさわしいヒトが、立ち向かう仕事に就きすぎている。
世の中で、ご立派でふさわしいとされるヒトには、まるで出来ない。適正がない。
適正が無いヒトに、やらせすぎている。出来ないヒトは、保身に回る。自分を取り繕うコトしかしない。
立ち向かえるのは、泥をかぶれるニンゲン。何回打ちのめされても、起き上がって立ち向かえるニンゲン。
何の保障もない闇の中を、進んでいけるニンゲン。それが立ち向かえるニンゲンの、条件となる。
難しい問題ほど、自己を犠牲に出来る適正の、ニンゲンが当たる必要がある。解決できないのは、適正でないご立派なヒトが、問題に当たっているから。その段階で、解決する見込みはない。立ち向かえるのは、賢さではなく、愚かさ。愚かさは、打ちのめされるコトを承知で、立ち向かい続ける、自己犠牲。