かなしい
これも探ってみる。
この感情も探ってみたいと思う。
今日は、悲しいを探ってみたい。
悲しいは、大切な存在を失った時に感じる。そういうコトになっている。
でも、本当に大切な存在を失ったその時に、悲しいと感じるかは、疑問が残る。
意外にその時は、悲しいとも思えない。いや、それは個人差もあると思うが、どちらかというとその後にジワジワ感じてくる。
悲しさは、思い出すごとに溢れてくる。思い出せば出すほど、悲しいという気持ちは溢れ出す。
これは脳の処理によって、生まれてくる感情という証拠。どうやら悲しいは、脳が作り出す感情と結論づけたい。
大切な存在を失っても、それはただの現実としてあるだけで、悲しさではない。
自分が思い出す中で、未来にその存在がないと思った時点で、悲しいと感じる。
その存在がいるハズの所だけ、ぽっかり穴が空いていると思った時、とても悲しくなる。
悲しいとは、おそらくその穴が作り出している。思いでの中では生きていても、現実では生きていない。
そこが穴になって、空いてしまっている。
こちらから何をしても、現実には何も答えてはくれない。想像の中では生きられるが、それは作り物。ホンモノではない。
その現実が、悲しくさせる。想いが強いほどに、その想いを否定しなければいけない。
その否定が、悲しいと思わせる。
悲しいとは、現実と向き合う時の痛み。少しずつ慣れていかなければ、いけない。
もういない。その現実を受け止めようとする、激しい痛み。それが悲しみ。思い出すごとに、溢れ出す悲しみ。それは、大切な存在の大きさを、より大きなモノにもしてくれる。悲しいほどにありがたく、そして悲しみの中で、いつでも逢うコトは出来る。