えすかれーしょん

たのしい

たのしい

ではこれは?

当たり前のような感覚、これはどうだろう。

楽しいという感覚は、どうだろう。

楽しくないというのは、100%自分の感覚。とすると、楽しいというのも、自分の感覚と考えてイイ。

人が楽しいと思っても、自分はそうは思わない。それはよくあるコト。楽しいには、かなり個人差があると言える。

であるはずなのに、楽しいといっしょに、みんなでという言葉がよくついてくる。

本当に楽しみたいのであれば、独りで楽しめばいい。それの方が、無理をしないで楽しめるハズ。

それなのになぜか、みんなで楽しもうとする。これはなぜだろう。

独りで楽しんだ方が、自分にあった楽しみ方を出来る。なので充分に楽しみたいのなら独りの方がイイ。

それでも、楽しい思いを共感、共有するコトは出来ない。

この共感、共有したいが為に、みんなでというコトをしたがるように思う。

本当は、そんなに楽しくなくても、共感や共有というモノを、優先しているのだろうと思う。

もちろん全員が楽しければ、それに越したコトはない。でも、それだけの内容のあるモノは、結構難しい。

自分にあった楽しみ方を味わいながら、ヒトにも共感してもらいたい。一番理想的なのは、そのカタチになる。

そんな都合の良い方法などあるのかと言えば、ネットを使えば可能なのかもしれない。

自分の楽しみたいコトをしつつ、それを掲示板やブログや、ツィッターなどに書き込み、共有共感する。

これなら、つまらないコトをしなくてイイし、ヒトと楽しみを共感するコトも出来る。

ネットの世界は、ヒトの欲求に即している。ネットの世界にそのようなモノが生まれるのも、当然と思う。

ところで、個としてネットを通じて、的確に楽しむコトは出来る。でも、何か足りないような気がするのも確か。

みんなでと、ネットでとは、楽しいに何が違うのだろう。

ネットでは、ぬくもりや熱は伝わらない。ふれあいというモノもない。

南アW杯では、得点を入れたあと、聴衆が歓喜に湧き、ハイタッチや抱き合ったりしていた。

少なくとも、ネットではハイタッチや抱き合ったりが出来ない。

もしもみんなで喜んだとしても、ハイタッチや抱き合ったり出来なかったら、イマイチ盛り上がらない。共感は弱い。

やはり強く共感、共有したい場合には、みんなで楽しんだ方が良いように思う。

楽しいは一人ひとり感じ方も違うので、強要すれば、ゴリ押しになってしまう。楽しんでいるようでも、本当は楽しんでいない。

同じ楽しみを持っているようでも、意外に微妙な所で、好みが分かれたりもする。ある程度、妥協するコトも必要に思う。

時にはみんなで、そして時にはネットで、ヒトは楽しみを共有している。楽しみ自体が、それぞれの欲求に即しているので、それで構わない。ただ、あまり独りだけで楽しいと感じても、時間つぶし、欲求つぶしにしかならない。やはり、楽しいは共感して、なんぼなのかもしれない。

-えすかれーしょん