えすかれーしょん

せつなさ

せつなさ

これは深い。

今日はこれを、探ってみる。

切ないという気持ちを、探ってみようと思う。

切ないというのは、繋がりが切れるような思いをした時。

そんな時に、切ないと感じる。

切れそうな時であって、本当に完全に切れてしまうと、切ないではなくなる。

切ないというのは、悲しみのようであって、とても気持ちの良い感覚にもなっている。

これはどうしてだろう。どうして、気持ちよさを含んでいるのだろう。

繋がっているモノが、切れそうになる時は、一番心が揺さぶられる時。

いろんな感情の中で、一番揺さぶられている状況だと思う。

揺さぶられたやり所のない想いは、そのままのカタチで、続いていく。

時間が続くにつれて、諦めと期待がないまぜになって、気持ちは沈んだり浮いたりしていく。

そんな時の状況、少なくともそこまでヒトのコトを強く考えるコトは、他にはない。

安定した状態では、それが当たり前になって、あまり考えなくなってしまう。

繋がりが切れそうな状態になって、初めて相手のことを深く強く想い出す。

そして自分の今までの振る舞いを、省みていく。

自分の振る舞いを反省して、変わるコトが出来たとしても、また元の状況に戻れるという保障はない。

それを知りながらも、それをしないワケにはいかない。

不安定で、揺さぶられている切なさの中で、相手を強く想いながら、精一杯を重ねていく。

少しの希望を信じて、絶望も見え隠れしながら、闇の中を泳いでいく。

どうなるかは分からないが、その不安定などうしようもない気分は、とても気持ちが良い。

安定しているよりも、不安定な状況の方が、とても気持ちが良い。

どうしようもないというのは、自分のチカラを越える状態。自分から解放される状態。

そこまで行ってしまう切なさは、解放されて快楽の領域に行き着いていく。

自分のどうにかなる領域は、とても重たく、とても不自由。そこから抜け出した時、とてつもない快楽を得る。

切なさは、揺さぶられたまま、領域を越える感情。

振れ幅が大きすぎて、快楽の領域まで達してしまう。そしてそれが長く続いていく。それが切なさ。

切なさは、揺さぶられる強い感情。想いが強いほど、切なさは増して、強く振れだしていく。それはとても気持ちが良い、その領域まで行ってしまう、想いの高まり。

-えすかれーしょん