えすかれーしょん

いやしさ

いやしさ

そう付ける。

何に対して、そう付ける。

卑しさは、何に対して付けるのだろう。今日は、それを探ってみる。

卑しさは、他人に対しても自分に対しても付ける、否定的な言葉。

否定するコトによって、改善をうながす効果を期待している。

もしくは、相手を否定して、自己満足の快楽を得る為にも、使われる。

どちらにしろ基準があり、それを下回っているという表現で使われる。

ヒトは衝動で行動する。まるで獣のように。

衝動で行動しては、周りのヒトに不快な思いをさせてしまうコトもある。

そこでヒトは、基準を作り自分を戒めていく。その戒めの表現のひとつが、卑しいになる。

もちろん、ふんぞり返って見下すコトによって、快楽を得るだけの使い方をするヒトもいる。

そのヒトは自分を高めるコト無く、他人を低めてバランスをとっているのだと思う。

ただ、それは基準をゼロとすると、何も成長していないコトになる。

他人を見下しても、自分は何一つ成長するコトは出来ない。

ヒトが基準を作るのならば、それは高めていく為だと思う。

ふんぞり返る為に、見下す為に、基準を作るわけではない。

すくなくとも、卑しいという表現は、ヒトに順位を付ける為に生まれた言葉ではないと信じたい。

もしも順位を付けたいのであれば、固定する表現を使うはず。卑しいはそうではない。

卑しいというのは行動であり、改善する余地を残している。

とするならば、卑しいというのはやはり、改善をうながす為の表現。より高めていく為の表現と言える。

卑しいという、否定の表現には、改善して欲しいという願いが含まれている。

ヒトは基準を持ち、より高みに向かうコトを、望んでいるように思う。そのままでイイのであれば、ヒトに対しても自分に対しても、卑しいという言葉は使わない。やはり卑しいは、願いを含む、改善をうながす言葉だと断言したい。

-えすかれーしょん