くやしさ
どこから。
どこから、湧いてくるのだろう。
悔しさはどこから、湧いてくるのだろう。
くやしいと思うのは、想定した結果が得られなかった時。
ヒトは結果を想定しながら、行動している。
その結果を確信しているほど、得られなかった時は、くやしいと感じる。
悔しさは想定したモノを得られなかった穴を、埋める役目を果たしている。
最初は、得られると思っている為に、そこに大きな穴が空いてしまう。
得るコトが出来て、その次に進む道が出来る。それが得られないとなると、道が途切れてしまう。
穴があいて、道が途切れてしまうと、呆然と立ち尽くすだけ。道がないので、どうすればいいかも分からなくなってしまう。
そのまま進んでいくコトは許されない。どう進んでいくか、考え直さないといけない。
その現実を受け止めた時、くやしいと感じる。そのまま進めると思い込んでいた自分に、ブレーキをかける時、くやしいと感じる。
ブレーキをかけるのは、現実を受け入れると言うコト。受け入れなければイケないというコト。
穴が空いたままでは、動くコトが出来なくなってしまう。
想定した道を折りたたんで、次の道を想定し直さなければいけない。
とても嫌な行為。それだけに、同じ思いはしたくはないと思う。その思いが、次の道の質を上げる。
次の想定の質を上げる。想定が甘いほど、悪い結果に繋がる。
良い結果を出したいのならば、想定を厳しくする。質を上げる為に、厳しく仕上げる。
くやしいという嫌な思いが、質を上げてくれる。
くやしさは、想定したモノを得られない時、その穴を埋め戻す痛み。そしてその道を折りたたみ、次の道を想定し直す時の痛み。
その痛みが、次の想定の質を上げてくれる。くやしいほど、二度と味わいたくはない。その思いから、質を上げていく。苦い思いをするほどに、質は上がり、賢くなっていく。悔しさはその為の、とても苦い薬と言える。