あやしさ
気になる。
なぜか気になる。
怪しさは、なぜかとても気になる。
これは何がそうさせるのか。
怪しさは、分からない要素を含んでいる。全てが明らかではない。
その明らかではない部分に、魅力を感じる。しかもそれは光ではなく、闇。
闇の要素を含んでいる。その闇に対して、恐怖と、可能性を感じている。
恐怖は、触れてはイケないモノ。リスクを秘めている。
可能性は、自由度。どうやっても、わからないモノであるならば、自由に想像しても問題はない。
怪しさはそこに存在した段階で、ナニものかのモノであり、自分のモノでもある。
知った時から、もう自分のモノとして、確かめたくて仕方なくなっている。
怪しさの持つ恐怖が、居心地の悪さを生み、何かをしないではいられなくなる。放っておけなくなってしまう。
そこで、いろいろと想いを馳せる。想像をめぐらせる。居心地の悪さを、吹き飛ばそうと動き出す。
怪しさは、恐くもあり自由でもある。おそらく答えなどでない。考えるほどに分からなくなり、その闇はさらに広がっていく。
どこまでも広がる闇の中で、自由に人は想像して遊ぶ。怪しさというのは、人の遊び道具かもしれない。
触れてはいけない、そして入り込んでもいけない、怪しい世界。それはヒトにとって、いろんなモノを掻き立ててくれる遊び道具。
ヒトは怪しいで、遊んでしまう。それはヒトが持つ、逃れられない特性。その中で様々なモノは、生み出される。怪しさは、新たな何かを生み出させる、母のような存在かもしれない。