きもちいい
なんだろう。
それは何だろう。
気持ち良いという感覚、それは何だろう。
気持ち良い状態があったとして、それをくり返しても、ずっと気持ち良いと思えるだろうか。
おそらく、少しずつズレていく。麻痺していくように、感じ方が鈍っていく。
とすると、気持ち良いという感覚は、絶対的なモノではないと言える。
感じると言うコトは、何らかの刺激。刺激は痛み。
どのくらいの痛みで、気持ち良いと感じるのだろうか。基本的には、ちょうど良い痛みと言うコトになるが、実は決まっていない。
どのくらいの痛みというのは、決まっていない。どんな痛みでも、気持ち良いと思えば気持ちよくなってしまう。
痛みには様々あり、それは違和感として、漠然と認識される。
痛みがハッキリと認識できるのは、その原因を確認出来たあとでのコト。
実は痛みは、脳で処理できて初めて、痛いと認識できる。処理できなければ、漠然とした違和感があるだけ。
漠然としている時に、気持ち良いと言う感覚を付けてしまえば、気持ちよくなってしまう。
痛みを感じた時、気持ち良いと発するだけで、それは気持ちの良いモノに変わってしまう。
痛みは確固たるモノではない。そして気持ち良いは、自分が付けるコトもできる。
気持ち良いと付けてしまえば、どんな痛みでも気持ち良いにしてしまうコトが出来る。
さらに気持ち良いと言うのは、追求していく性質を持つ。どこがどのくらいの痛みを発しているのかを、冷静に判断していく。
普通、痛みというのは死に近づく危険なモノなので、少しの痛みでも大げさに反応してしまう。
それが気持ち良いと付けるだけで、冷静に確認をしだす。
気持ち良いと言うのは、陶酔ではない。逆に陶酔に付けるコトで、さらにその陶酔を楽しもうとしている。
気持ち良いは、冷静に認識させる行為。どんな痛みにも付けるコトが可能な、表現。
上手くコントロールすれば、苦手なモノを克服する時にも使える。嫌なコトでも、気持ち良いと付ければ、気持ちよくなり。何が嫌かも、確認し出す。気持ち良いは、感じるのではなく、使いこなすモノかも知れない。