うつくしさ
そうでないもの。
そうでないモノとの差は、何だろう。
美しいモノと、そうでないモノとの差は、何だろう。
美しさは感じるモノであって、本来なら見解は異なるハズ。
にもかかわらず、純然と美しさというモノは、存在するように感じさせる。
感じるというのは、人の感じる器官に取り込まれて、脳が判断をした結果のモノ。
美しさに関しては、脳で判断される。さて、美しさの条件とは何だろう。
美しさを表現する時、よく整ったという表現を使う。
とすると、整ったモノが美しいモノで、整ってないモノが、そうでないモノとなる。
確かに基準となるカタチがあって、そこにどれだけ近いか、遠いかは大きな要素。
さらに、余計な要素が増えるほど、美しさから離れていく。
おそらくは脳の段階で、余計なモノがあると、処理しにくい。その処理というのは、流れるように行われているように思う。
余計なモノは、その流れを妨げてしまう。妨げが多いほど、美しいと感じなくなる。
脳は、すんなり流れるコトを望んでいる。妨げなく流れるコトを、良しとしている。
美しさとは、流れなんだとわかる。流れがスムーズであれば、美しいと感じる。
余計な要素があっても、それに流れが出来れば、それを美しいと感じるかもしれない。
流れやすくする為に、明確さ、わかりやすさも加えれば、なお美しくなりやすい。
要素を減らすだけでなく、処理しやすく、そして流れを作れば、美しくなってしまう。
どのような流れで処理させるか。脳がどう処理するかまで、計算に入れて、流れをうながしていく。
美しさの条件は、流れ。妨げずに、流れ続ける。脳が処理しやすいように、まとめる。違う意味のモノで、パックにして単純化してしまう。すると、妨げが減り、美しいと感じる。分かりやすく、処理しやすくしてあげる。それで、あらゆるモノが美しくなれる。