えてふえて
どこだろう。
どこで決まるんだろう。
得手、不得手は、どこで決まるんだろう。
カラダに関するモノならば、筋力、反射神経、視力、平衡感覚など、もともと備わっているモノで、決まってくる。
とすると、ある程度最初から決まっているモノなのだろうか。
他の能力はどうだろう。たとえば、音楽や芸術に対しての、得手不得手。
これはある程度時間をかけて、身につければ、人マネは出来るようになる。
得手不得手で言うならば、時間をかければ出来るように、なるのかもしれない。ただ、それ以上になると、そのヒトの持つ資質にかかってきてしまう。
それ以外の能力は、どうか。やはり本人の持つ資質が、カギになる。
主体的か、追従的かでも違ってくる。さらには、一つの能力が、劣るというのも重要な要因になる。
たとえば、体が丈夫ならば、カラダのチカラで解決できる。体が丈夫でなければ、解決できない。
そのために、それ以外で解決しようとして、それ以外の能力が発達する。
あまりに一つの能力が強すぎても、他の能力の発達を妨げてしまう。
得手不得手は、基本的にはそのヒトの持つ資質で、左右される。
それを前提とすれば、得意なモノは得意なように、不得意なモノはそれに合わせて、身につけ方を分ける必要がある。
得意なモノも、不得意なモノも、同じようにやっては、得手不得手はそのまま、放置されてしまう。
得手不得手に合わせて、身につけさせ方も、それを考慮したモノを用意する。
それで、不得手でもそれなりには、持っていくコトが出来る。
得手も不得手も、そのヒトの資質が、決めていく。得ては良くても、不得手はそのままにはしたくはない。とすれば、不得手に合わせて、フォローしてあげたい。得手にならないまでも、それなりに出来るようにまでは、するべきと思う。