よろんちょうさ
無くなったなら。
無くなったなら、どうだろう。
世論調査が無くなったなら、どうだろう。
まず自分で判断できる人と、そうでないヒトを分ける必要がある。
自分で判断できない人にとって、世論調査というのは、大きい目安になる。
自分の感じているコトが、正しいのか間違っているのか、世論調査が大きな参考になる。
判断できない人にとって、世論調査が無くなれば、政治との距離が離れる。
おそらく判断できないヒトは、もともと政治と距離があるヒト。世論調査は、そのヒト達と政治との距離を、縮める役を担っている。
では、判断できる人にとって、世論調査はどうだろう。判断できるヒトは、自分の中に答えを持っている。
なまじ答えを持っているが為に、それは不満になり、くすぶり続ける。
その時世論調査の結果を見て、自分の答えと大きく外れれば、不満はより増幅する。
自分の考えが大勢を示せば、それなりに浮かれる。
とはいえ、相手は国民。多かろうが少なかろうが、それがすぐに政治には繁栄されない。
それでも、世論調査があるコトで、なんとなく自分のポジションが分かるのも確か。
自分と同じ考えのヒトのポジションと、その勢力が分かる。ポジションが決まれば、意外に落ち着く。
自分で判断できるヒトにとって、世論調査は自分のポジションと、その勢力を教えてくれるモノ。
世論調査が無くなれば、ポジションが決まらない。ポジションが決まらないのは、とても不安なコト。
世論調査があるコトで、意外にガス抜きになっている。もしも無ければ、不満は増大する一方になる。
世論調査は、それなりに役目を果たしている。政治に対しての興味を引かせ、一定の安心材料にもなっている。
マスコミ側の世論操作も、出来なくはないが、それは小さな範囲でのコト。いくつもの世論調査で判断すれば、操作の疑念は薄まっていく。
世論調査をどう見るかは、最終的に国民一人ひとり。
あくまで利用するモノで、利用されてはイケない。世論調査は、一つの目安に過ぎない。
大切なのは、その目安を持って、自分がどういう考えを持つか。あくまで自分。揺らいではイケない自分の確立。
世論調査はあくまで道具。本当かどうかは、それでは決まらない。あくまで目安として利用し、自分を確立する。大切なのは世論の礎である、一人ひとりの存在だから。