さいだい
何が出来る。
それを知って、何が出来る。
それを知るコトで、どんなコトが出来るようになるか。その最大を並べていく。
知を得るごとに、世界は広がっていく。ならば、どのくらい広がるのか、想像してみる。
何も知らなければ、ヒトが描ける世界は、とても狭く小さい。
一つ物事を知るコトで、それに関連した世界が、描けるようになる。
基本的な文字を知るだけで、何も知らないより、沢山の知識を得る可能性や、自分の得た知を、後世に残す可能性が広がる。
言葉を一つ知れば、意志をヒトに伝え、それにまつわる仕組みを、自分のモノにするコトが出来る。
その知を得て、どれだけの世界を描けるコトになるのか、そこに重点を置きたい。
知をコレクションするだけでは、宝の持ち腐れになるだけ。
知を持つモノの責任として、それを身につけるとどれだけの世界を描けるのか、並べて発表するべきだと思う。
こういうコトに役立ち、こんなコトも出来るようになる。その提案は、より具体的にその知を持つ意味を、示してくれるハズ。
逆に言えば、従来は知を持つ意味が、不鮮明になっていると言っていい。
不鮮明では、知はまるでガラクタのように、くすんでいく。
役に立つ使い方を、並べていけば、今まで考えが及ばなかった所まで、広がる可能性もある。
知を持ったとしても、みんな今までの使い方をするだけ。知を、他のやり方で、使うコトをほとんどしない。
それだけに、ひとつひとつの知で、それを利用して何が出来るかを並べるコトは、知り尽くす意味でも重要になる。
知り尽くし、使い尽くす。しかもそれは、学ぶ側にとっても、興味を惹く要素が増えるコトにもなる。
これだけ高度な知が増えた世界。増えすぎてしまった世界。ひとつひとつを洗い直して、もう一度その可能性を探ってもイイ頃だと思う。知はおそらくそのチカラを、最大限発揮できていない。まだ眠っている。まだ、知の本当の姿を、誰も知らない。