えすかれーしょん

けっか

けっか

ともなわない。

決して内容と、ともなわない。

結果は、内容とともなわない。どんなに質が高くても、それだけの結果が出るとは限らない。

結果というのは、ヒトのリアクションのコトを言う。

どんなに質が高くても、いや、質が高ければ高いほど、それを理解できるヒトが必要になる。

まずは、そのヒトに出逢わなければならない。

それが出来なければ、日の目を見ることなく、消えて無くなってしまう。それはよくあるコト。

理解できる人と出会えても、それが一人では、良い結果が得られたコトにはならない。

沢山の理解できるヒトと、出会う必要がある。

ある程度の人数が賛同すれば、それに追従する人達が出てくる。ヒトが人を呼び、思う結果を得るコトが出来る。

まずは、理解できるヒトと、沢山出逢わなければいけない。これが出来ないうちに消えてしまうコトは、非常に多い。

沢山出逢う為には、探す必要がある。この探すというのが、とても難しい。

質の高いモノを作るヒトほど、それ以外に能力を使いたがらない。

下手をすると、質の高さを追求するあまり、モノとばかりになって人付き合いもおろそかになっている。

そこまでいかないまでも、人付き合いが消極的なヒトは多い。

それで良い結果が出ない。質は良いけれど、その先までいかない。理解してくれるヒトまで届かない。

この日本の中で、まさにそれは起き続けている現象のように思う。

良いモノはある。ただ結果は出ない。

これは、理解できるヒト、そして広めるヒトが足りないからだと思う。いや、広めるシステムが無いように思う。

広めるという義務感というより、純粋に好きという焦がれる感覚でいい。とすると、ファンが適当。

ファンになってくれる人を探せばいい。そしていろんなモノのファンになればいい。

芸能人やスポーツ選手に対してだけではなく、モノに対してのファン。

それをもっともっと増やしたい。ファンならば、何も恥ずかしいコトはない。大ぴらに主張できる。

良いモノを作る能力はある。それを支持してくれるファンが少ない。ファンになるという、社会構造が出来ていない。

ファンというのはとても大切なモノ。日本人は、もっといろんなモノのファンになって良い。

するとそれが結果になっていく。思っていた結果になっていく。

どんどんファンになっていく、そのシステムが日本には欠けている。ファンならば、気楽になれる。誰でもなれる。ファンがもっと増えていけば、社会はは活性化する。遠慮は要らない、どんどんファンになればいい。

-えすかれーしょん