そめられている
本当の姿ではない。
大人達は、本当の姿とは言えない。
大人達は国に染められる。見えているのは、本当の姿ではない。
それがどんな国かで、そこに住む大人達の行動も、違ってくる。
大人達は、その国に合わせ、染められている。
その大人達の姿が、その人自身であるかは疑わしい。
自由を許されている国であるのなら、それはそのヒトの姿かもしれない。
ただ、自由が許されていないような国なら、そのヒトの行動も、姿も、そのヒトとは言えない。
国の自由度で決まる。いっそのコト、国の自由度を10段階くらいに分けて、表せばいい。
現代も、過去に置いても、どのくらいの自由度があったか、1〜10の数字にしてしまう。
自由度という見方をすると、今まで見えてこなかったモノも、見えてくる。
自由主義を掲げている国でも、本当に自由かというと、そうとも言えなかったりする。
自由でないというコトは、それなりに強要されており、染められていると考えてイイ。
その中での行動も、そのヒトたちの本意とは違うかもしれない。
歴史というのは、その出来事や行動が当然のように伝えられている。それも本当かは分からない。
そのひとつひとつの行動は、やらされているかもしれない。
問題のある行動であっても、本当に自分の意志でやってはいないかもしれない。
自由度のない国のヒトは、染められている。やらされている。
国は否定しても良いけれど、そこに住むヒトまで否定をするべきではないと思う。全ては自由度のない、その国の影響。人びとは、ただ染められているだけ。