こんじょう
カタチにならないモノ。
目に見えないモノ。
根性という、目に見えないモノがある。これは何だろう。
いわゆる精神的なモノ、そして自分を奮い立たせる呪文のような言葉でもある。
どちらかというと、口に出したり、耳から入ってきて、自分やヒトを奮い立たせるモノ。
なぜ、根性という音声が、人に特別な効力を与えるのだろうか。
ヒトは、カラダと脳とで、伝達物質を複雑にやり取りしながら、行動している。
それは、瞬間瞬間で変わり、的確な答えがあるわけではない。
答えがないというコトは、いつも揺れているコトになる。グラグラと揺れているコトになる。
とくにカラダや脳が、急激に消耗した時などは、その揺れ方はとてつもない。
体は使い過ぎると、究極には死が待つ。脳も使いすぎれば、限界が来る。
そうなると、自分の中で揺れ始める。そこから逃げ出したくなる。
その時にかける呪文として、根性という言葉が登場する。ハッキリ言って、明確な意味など分からない。
根性という言葉の意味など、そんなにハッキリ分からない。それでも、なんとなく逃げてはいけない気になる。
このまま突き進まなくては、いけない気になる。揺れていた自分の心は、その言葉によって安定する。
根性という音声が、巨大で強固な柱となり、安定して自分の精神を支えるようになる。
逃げたいという脳や体の伝達を、断ち切るコトが出来る。
ただの音声。にもかかわらず、ヒトの精神に直接訴えかけ、揺れる気持ちを踏ん張らせる。
ヒトはイメージによって行動している。おそらくそのイメージに、根性は作用する。
ヒトはイメージしてから、行動する。イメージはとても大事なモノ。
そしてイメージをしても、カラダや脳がしんどくなれば、それは妥協せざるを得ない。
この時根性という音声が、イメージの中に入り込み、妥協する選択肢を否定してしまう。それで、揺れなくなる。
根性を使えば、本当に限界に来るまで、自分を持って行ける。それでもそれは、一歩間違えば危険なモノ。
根性は、自分の甘えを払拭する呪文。自分にかける、とっておきの呪文。それだけにとても危険な呪文とも言える。