にないて
誰がなる。
誰なら出来る。
誰なら、担い手になれるだろうか。
国民の要求はとても高い。それは、昔と比べ、相当に国民が賢くなってしまったから。
生半可では、満足などしない。ごまかしも、すぐに見抜く。そういうチカラを、持ってきている。
その国民から見れば、民主党政治は、ナニか物足りなさを感じさせる。
もちろん自民党が良いワケではない。自民党は、未だに権力争いばかりして、醜すぎる。
自分のコトしか考えていない人間ばかりで、考えも短絡的。未だそのまま。
他の政党も、それぞれ良いトコロはあるとはいえ、国民を満足させるだけの政策を、持ち合わせてはいない。
新しい政党でも、それは同じ。おそらく政権を担っても、今までの流れを変えられるほどの、能はない。
担い手がいない。それはとても残念なコト。賢くなってしまった国民を、満足させられる能力を持ったモノがいない。
その担い手になれるモノが、政治家の中にも、国民の中にも居ないのなら、まだ良い。
でも、本当は能力のあるモノが、オモテに出ずに居るとするならば、非常にモッタイナイ。
結局、オモテに出てくるのは、権限をもったモノに限られてしまう。
担い手になる能力があっても、権限を持てなければ、居ないのと同じになってしまう。
今までも、能力があっても居ないとされてきたヒトが、沢山居るように思う。
歴史の中で、本来担い手になれても、権限を持てずに存在も出来ないヒトが、かなりの数居たと推測できる。
担い手は、もっと広く探さなければ、見つからない。選んでいては、質の良い担い手は見つからない。
選ばれるヒトは、ヒトのしがらみの扱いに長けているだけで、能力とはまた違うもの。
これからは、より高い能力を求められる。もちろん、高い意識を持っているのは、当然のコト。
選んでは、集まらない。開いて、出させればいい。場を作って、出させればいい。
そうすれば、探しやすくなる。担い手を探しやすくなる。閉じている。開く必要がある。
次の担い手はまだ居ない。過去を見ても、能力のあるモノが、担い手になっているわけではない。それはとても不幸。場を開いて、出させて探す。きっと居る。国民の求める所には、まるで足りない。