えすかれーしょん

あるじ

あるじ

自由に出来てしまう。

良い意味でも悪い意味でも、自由に出来てしまう。

主ならば、自由に出来る。

商店街が、シャッター通りになっている現実がある。これには、様々な要因が隠されている。

その大きな要因を、商店主が握っているように思う。

店を構える。それはいわば一国一城の主。そう思わせる。とても晴れ晴れした気分と、責任を背負う。

それでナニも問題がないように感じる。しかし、その一国一城の主が非常にマズイ。

お客というのは、お金を払ってくれる存在。それは、いわば王様や殿様。

王様や殿様の気分になるコトで、とても癒される。

その王様や殿様の立場が、お金を介して変わるコトで、高度な分担経済は成り立っている。

ところが、お客が王様や殿様なのに、商店主が一国一城の主では、立場的にかち合う。

これでは、お金を使うコトによる癒しは、得られない。お客さんとしての喜びが少ない。

それは、商店主が怠惰になるコトも、拍車をかける。自由に出来てしまうので、怠惰にもなってしまう。

お客さんを、王様や殿様にして、初めて商売と言える。一国一城の主では、商売ではない。

一国一城でも構わない。ただ、一国一城の家来としたい。商店主であっても、お客さんの家来。

商店主は、家来意識を持ち、殿様や王様を喜ばすコトをテーマに掲げたい。

どうすれば、王様や殿様は喜ぶのか。このままで良いのか。失礼はないだろうか。不足はないだろうか。

いつでも家来意識で、ピリピリとした危機感の中で、現状を問いただしていけば、お客さんは戻ってくる。

シャッター通りは、少しずつ活気を取り戻す。

楽なコトはひとつもない。気持ちの良いコトもひとつもない。待ち続ける家来に、安息はない。

あるとすれば、王様や殿様の喜ぶ顔。お客さんの喜ぶ顔。

主はお客さん。商店主は家来の意識を徹底する。

シャッター通りは、なるべくしてなっている。それを変えるならば、まずは商店主の意識改革。

意識改革なくしては、シャッター通りはなくならない。家来である自覚を、徹底して刻み込む。問題は商店主の心の中にある。心の中ならばお金はかからない。そしてすぐにも変えられ、逆に永遠にも変えられないとも言える。全ては、商店主にかかっている。

-えすかれーしょん