えすかれーしょん

わるもの

わるもの

排除してしまう。

排除していいと、思ってしまう。

悪者は排除していいと、思ってしまう。

悪者は、時代とともに変わる。社会の状況とともに、動いていくモノ。

もし排除出来たとしても、それで解決としていいかと言えば、少し疑問が残る。

まずは役目。どんなコトをしていたか。どういう気持ちでしていたか。そして、なぜそうなったか。

その要素はキッチリ押さえる。その時、本当に一言で悪者と言える、存在なのだろうか。

自分の快楽の為に、ヒトに害を及ぼすのは、確かに悪者かもしれない。

でも、私が言いたいのは、時代が作り出してしまう悪者のコト。

時代にそぐわなくなった、悪者のコト。

本人も、悪者だとは気づかずにいる。逆にイイ事をしているつもりのヒトも、居ると思う。

時代が変わる。つまりパワーゲームで、状況がひっくり返る。

それまでそれだけのコトをしてきたのだから、状況が変われば仕方がない。確かにそれも言える。

といっても、結局その時代の操り人形。操られるままに、踊っていただけ。

結局ヒトは、その時代のパワーゲームの中で操られ、踊っているだけかもしれない。

自分もその中の一人。ただ踊らされているだけかもしれない。そう考えると、大半は被害者。

あとはパワーゲームがひっくり返ったあとで、その操り人形にどう踊ってもらうか。それがまた深刻なテーマ。

のめり込んでいた者ほど、それしか踊れない。他の動きを要求されて、簡単には出来ない。

時代の中での正しいや悪いは、ダレかの勝手でコロコロ変わる。とても、アテにならない。

それでもその中で、生きていかなければイケナイ。とても難しい。時には間違っていると分かっていても、自分を欺いて踊らなければならない。

世の中がパワーゲームで進む以上、そこには必ず時代の被害者が生まれている。

悪者はパワーゲーム。そして、排他的な考え。つまりはヒトの心。自分の中にある、許容量の少なさにある。

パワーで他のヒトに押しつける。強要する。それは許容量の少なさ。考えの貧しさ。その貧しさから脱しないと、ヒトはいつまでたっても、時代の被害者を出し続けてしまう。

-えすかれーしょん