いきしに
ルールにのる。
ルールから外れる。
生きるモノはルールにのり、死んでいくモノはルールから外れる。
生まれたばかりの赤ちゃんは、とてもか弱く、すべてにおいて、おぼつかない。
大人社会のスピードにはついてこれず、背負わなければならない負担も、少ない。
同じ世界にいながら、違うテーマで存在しているコトになる。
その違いが、良い。その大きな差が良い。その差で、緩めるコトが出来る。大人の張り詰めているモノを、緩めるコトが出来る。
生まれたばかりの赤ちゃんは、許される。でも、生きるルールにのっている以上、成長とともに背負わなければならない負担も、多くなっていく。
死んでいくモノはどうだろう。死んでしまったあとは、生きてきた痕跡が残るだけ。思い出が残るだけ。
背負うべき荷物があっても、もう背負うコトは出来ない。1グラムも背負えない。
それが死のルール。生きているルールから外れ、死のルールに入っていく。
どんなに背負わせようとしても、背負えない。それで許される。
背負える能力がなければ、死んでいくモノも、生まれたばかりのモノも、許される。仕方がないので許される。
死んだモノがしてきたマイナスは、ゼロになる。恩というプラスは、返すアテがなくなり、残されたモノはその偉大さを痛感し、自分を恥じる。
死ぬ前に、どれだけプラスを残し、マイナスを残すか。残したプラスの大きさだけ、その差を痛感し、残されたモノは差を埋めようと、自分を改める。
生きている内に、あまりにも多くの失敗や間違いをくり返す。沢山転び、自分を傷つけ痛みを知る。
間違えてイヤな思いをする度に、沢山学ぶ。転んで、自分を改める。
学ぶというのは、上手に出来るコトではない。沢山間違えて転ぶコト。その度に、学ぶコトが出来る。
間違いや失敗は、正しい答えに辿り着く為の、絶対通らなければならないチェックポイント。
ここを通らないモノは、たとえゴールに辿り着いても、本当には分かっていない。身についていない。
生きていくルールの中に、必ずある間違いや失敗。それは、チェックポイント。
何年生きて、何年で死んだかはあまり関係ない。何十年生きても、あまり学ばない状況もある。
そのヒトなりのカリキュラム。それぞれに、生きていく間に沢山めげて、助けられて、立ち直って、成長していく。
誰もくり返している。その学びをくり返している。失敗し、間違えて改める、そのループの中にいる。
生きている間に何度も来るその学びの機会、死ぬまでの間に、どれだけ学べるか。
そして、どれだけプラスを他のヒトに残せるか。それが生き死にの間にするべきコト。
順風満帆では、あまり学ばない。そう考えると、自分の人生も悪くない。そこそこイイ人生。
イイ人生の基準、少しそれが変わってくる。他のヒトの人生は、そのヒトの学び。自分の学びは別のコト。
楽しみながら、苦しみながら、背負い、間違い、改める。許される時が来るまで、生きていく。いつ死ぬかは分からない。それまでに学んで、プラスを残していきたい。そう思う。