め
変わっていない。
子供の頃と、何も変わっていない。
自分の目を通して見える物は、子供の頃も、今も、同じように映っている。
子供の頃欲しかったおもちゃは、今見てもやっぱり輝いて映る。
とはいえ、子供の頃のようには楽しめない。目に映る様はかわらないのに、何が変わってしまったのだろう。
確かに子供の頃のように、はしゃぐコトは出来なくなっている。求められるモノが違うので、はしゃぐコトが出来ても、それは奇異に映るだけになる。
その都度その都度、求められる物は変わっていく。それを感じて、それに合わせて生きている。
他の理由はないか、考えてみる。
一つ言えるのは、子供の頃に比べて、手に入りすぎる。
あまりにも簡単に、手に入りすぎてしまう。それは、欲しいという気持ちを奪う行為。
欲しいと思ってから、手に入れるまでの時間を、明らかに奪っている。
大人買いという言葉はあるが、それで本当に楽しめるだろうか。欲しいと思っている時間は、あまりにも短い。
大人になったり、豊かになったりするコトは、欲しいと思っている時間を短くさせる。
手に入らない、期間を短くしてしまう。経済にとって、価値という観点から言って、手に入らないというのは非常に重要な要素。
その手に入らないが、無くなってしまっている。もちろん自動車や家など、手に入らない物は沢山ある。
にしても、とても少なくなってしまった。手に入らない、それこそがさらに、そのモノを輝かせるというのに。
手に入らないを、あえて作るのも手かもしれない。欲しい物を、あえて手に入れないのも、一つの方法かもしれない。
ノドから手が出るほどでも、眺めるだけ。あえて買わない。もしくは、借りるだけ。すぐ返さなければイケナイというルール。
一時間ほど借りて、すぐ返す。手に入るコトは出来ない。それの方が、子供の頃のように、楽しめるのかもしれない。
目に映る物は、子供の頃と変わらない。変わってしまったのは、手に入れるまでの時間。気づかないうちに、嫌な大人という存在に、なってしまったような気がする。