しはいしゃ
気づかない。
考えもしない。
支配者の側になると、気づかないし、何も考えもしない。
肉や野菜、これだけ沢山食べている。ヒトは、支配者といってもいい。
それでもヒトは、そのことに気づかない。考えもしない。
支配者の側になると、その他は虫けら同然となる。
食べ物は、命あるモノではなく、ただのモノとなる。そこに値段がついて、そのモノが置いてあるだけ。
お金を払えば、そのモノが買える。ただそれだけ。
簡略化されたシステムの中で、支配者のヒトは、命すら考えないでよくなってしまった。
憎むべき支配者に、自分がなってしまっているコトに、誰も気づいていない。残酷さは、代わりの誰かが担ってくれる。
ヒトという支配者が、離れてしまったモノは何だろう。
残酷さ、殺す、死、死骸。そこから離れてしまっている。ヒトが食べているのは、新鮮な死骸。
もちろん誰も死骸を食べてるなんて、思いたくない。そこに死があるコトなど、考えたくもない。
少しずつ離れていった理由は、そこにある。そんな、現代の生活は、ホンモノと言えるだろうか。
自分が生きる為に、沢山の命が犠牲になっている。あまりに重たすぎる現実。
もっと罪を感じて、屍を食べた方がイイ。そこに命があったコトを、受け止めて生きた方がイイ。
ヒトは、憎むべき支配者。支配者になると、まるで気づかない。本当は虫けらなどではない。そこに命がある。
沢山の命の犠牲の上に、今の自分の生活が成り立っている。生きる為には仕方がない。この仕方がないから、はみ出しては、いけない気がする。
生きる為に仕方がない。その中で、ヒトは屍を食べていく。死んでいい命はない。仕方がなかった。生きていくヒトの罪。
肉というのは、命あったモノ。うまれた時から、肉というモノは存在しない。許されるように、歯止めはかけたい。必要以上は、歯止めをかけて自制したい。