ちぇんじ
モードがある。
モードに埋め尽くされる。
自分の中に、いくつかのモードがある。すぐにチェンジ出来ないそのモードに、振り回されてしまう。
モードとは、感情と言われるモノかもしれない。
自分が進んでいる方向は、すぐには変えられない。その感情のまま、進み続ける。
そればかりか、それに引きずられて、出てくる考えが固定化されてしまう。
まるでその色のペンキ塗りつぶされるように、その感情に沿った考えしか出てきてくれない。
考え方というのは、いつもゼロから出てくるのではなく、その感情の上に出てくるモノらしい。
そのモードになると、そのモードの考えが出しゃっばってしまう。冷静とは、とても言えない。
なぜ、そんな風に、一つのモードに凝り固まってしまうのだろう。なぜそこまで、感情に振り回されるのだろう。
それは、優先順位かもしれない。
まずは、原始的な脳から、優先されていく。生きる為に必要な欲求は、原始的な脳から産み落とされる。
食欲や、性欲、好きや嫌いも、それを司るのは原始的な脳になる。
その原始的な脳が欲するとおりに、行動しては社会が保てなくなる。それで、大脳がそれにブレーキをかける。
ブレーキをかけると言っても、優先されるのは、原始的な脳。その脳の振る舞いが、モードになって自分を振り回している。
原始的な脳なので、それに支配されるのもうなずける。なかなか切り替えが出来ないのも、うなずける。
知らず知らずのうちに、頭をもたげる、原始的な脳。まあ、それはそれで構わない。気づけばいい。
ああ、今自分の原始的な脳が、この振る舞いを起こしているなと。原始的な脳を、観察してやればいい。
脳と言っても、原始的なモノから、新しいモノまでいくつもあり、それが役割分担をしている。なるほどそれでは、振り回される。
冷静になれなくても、仕方がない。チェンジし難くても仕方がない。その脳で行くしかない。やれるとすれば、もう一つの脳で、冷静に見守るだけ。原始的な脳を、新しい脳で見守るしかない。