できる
どれだけ。
どれだけのコトが、出来るだろう。
実際その場で、自分はどれだけのコトが出来るだろう。
いろんな場がある。そこでそのコトを成す人物が、自分しかいないとする。
自分という人間は、どのくらいの場の数を、責任を持って成し遂げるコトが出来るだろう。
現在は、いろんなモノが細分化されている。その中で一人ひとりが出来るコトも、細分化されている。
今いる場なら何とでもなるが、他の場にいて、自分がしないといけないとなったら、どうしよう。
自分はあまりにも足りなすぎる。実際いろんなコトをしなければならないとなると、とても足りない。
実際には、ナニも出来ない自分がいる。
社会が進むほどに、情報網が発達し、テレビなどでは視聴者を持ち上げてくれる。
周りのヒトも、親切にしてくれるし、良くしてくれる。
それに甘えて、まるで何でも出来るような錯覚に陥るが、実際にはナニも出来ない。
とても足りない。
実際に、その場でシッカリと出来るか。どの場でも、ちゃんと出来るか。
おそらくシッカリとこなせる場など、数えるほど。
全てを出来る必要など無いが、何が足りなすぎるか、自覚はしておいても良いように思う。
それを元に、自分が何をすべきか、またはしないで済ますか、決められる。
その時に困らないようにと、その思いならば、より的確に身につけられる。
ネットの中だけでも、相当なモノが手に入る。本屋にも街にも、沢山のモノが溢れている。
挑戦をくり返せば、いろんなモノを身につけるコトも可能。あとはやるか、やらないか。
どちらでもイイ。それが自分の生きる道。納得する生き方をすればいい。さて、どうしよう。