えすかれーしょん

まね

まね

それで出来ている。

世の中、マネで出来ている。

それなのに、マネと言う行為は、とても低く見られる。

マネと言うのも、そんなに簡単なモノではない。それでもマネ自体の評価は、とても低い。

どうしてマネと言う行為自体の評価は、これほど低いのだろうか。

確かにすべてがマネだけなら、ヒトの文化は発展しない。

それでころか、徐々に衰えていく。コピーし続ければ、質は落ちていく一方になる。

マネだけでは、世の中の質は落ちるだけ。従来よりも質が高い、向上が求められる。

とはいえ、人が評価出来るモノは、マネだけ。点数をつけられるような、答えのあるモノはすべてマネ。

これだけ、ヒトの行動に点数をつけておいて、マネの評価が低いというのもおかしな話。

おそらく理解が出来ない。あまり大幅に、質が向上しては、誰もその変化について行けない。

ヒトはあくまで、少しずつでしか変化していけない。少しずつでしか、向上してはイケない。

そこはとても難しい。ヒトから高い評価をしてもらえるヒトは、元来マネの得意な能力をもつ。

そのヒトが、それ以上の質のモノを出せるかと言えば、そのヒト次第。というより、ごく希なコト。

どちらかといえば、性質的には無理がある。マネから始まったモノは、マネで終わる。

追従していくヒトは、追従するのが能力。自分から道を拓く能力は、また別。

おそらく、あまり評価されていない人達が、世の中を作っている。

あまり評価していない人達を、マネて向上していく。評価されているヒトは、おいしい所を持っていく。

そうやって、世の中は、少しずつ向上していく。やはり追従していくヒトは、追従するだけ。

道を拓くヒトは、道を拓くだけ。創り出すヒトと、マネるヒトは別人。それで世の中は、出来ている。

マネるというのも、難しい。ただ、マネさせてもらう大元を低く見れば、タダの泥棒になる。

マネは、能力の泥棒に成り下がる。あくまで、大元に対しての敬意は、忘れてはイケない。

ヒトの社会はマネで出来上がっている。であるならば、大元を創ってくれた先人に、敬意は払いたい。タダの泥棒に、ならないように心がけたい。

-えすかれーしょん