えんしゅつ
とても、大々的。
とても大々的に、構成される。
社会の大きな転換点は、意外に頻繁に存在する。
というより、興味を引く為には、大々的にやらなければイケないので、そうなってしまう。
報道や、ジャーナリズムは、お客さんに見てもらわなくてはイケない。
その為には、興味を引く内容にしていく。あおり立てて、許される範囲で誇張していく。
報道の性質上、それは仕方のない宿命。
それだけに、大きな転換点などは頻繁に起こり、いつでも重大な局面になる。
不幸な事も沢山で、事件や事故ばかり起きている。
報道は、世界中から、そればかり探しているので、仕方がない。見てもらわないとイケないので、おのずとそうなってしまう。
報道が発達していない時代には、遠くの情報など入ってこない。情報がなければ、起こって無いコトと一緒になる。
どんな悲劇が起ころうと、それはなすがまま。受け入れるしかない。
現代は、いろんな悲劇があって、それを起こした犯人捜しをする。
犯人がいなくても、悪者を作らずにはいられない、心持ちになっている。
報道は許される範囲とはいえ、演出される。そして、起こるモノゴト一つ一つに、落としどころを探していく。
犯人捜しも、落としどころを探した結果なのだと思う。
まだ迷いの中にあるのかもしれない。報道も、迷いの中で、惰性や手探りで進んでいるのかもしれない。
どこに向かうというのではなく、かと思うと、意識を持っている者の振る舞いもする。
ただ伝えるだけの仕事。ではあるけれど、それ以上のモノ求める時、より大々的に伝えようとする。
ヒトの興味に沿っていく。多少、不幸なコトが多いのは、そこに要因があるように思う。
ただ、起こる事に落とし所を付け、なおかつ興味を引きたいのなら、発展的な考えに基づくべきと、そう思う。報道には、発展的という考えが、欠損しているように思う。