こめつぶ
小さい。
結局、それほど小さい。
昨日の続きになってしまうが、こだわりは削ぎ落とせば、米粒程度しかない。
とても堅いが、とても小さいモノ。ただ、自由でフワフワしている、脳のイメージの中では、堅くて動かないこだわりの存在は、大きい。
自分の意志というモノがある。とてもシッカリしていそうだが、それは脳の自由すぎる中で、結局決められていくモノ。
本来なら、とてもフワフワしているハズ。その意志が、確固たるナニかを持っているように思わせるのは、どんな要因からだろう。
自分の意志。更にはヒトを動かすその要素とは、一体どんなモノだろう。
まずはこだわり。ヒトが本来持つ、もしくは生活していく中で、磨かれたモノがこだわり。これによって、方向性は決まってくる。
同じく方向性を決めるモノで、周囲の人の動向がある。周りのヒトの考えによっても、行動は変わってくる。
更には環境。どんな環境かで、行動も当然違ってくる。
そして、生きる為の欲望。食欲や、性欲など、カラダからの衝動によって、ヒトは動かされていく。
自分の中のこだわり。周囲の言動。環境。そしてカラダからの衝動。
これらが複合的に、絡み合って、脳で処理されて行動になる。ヒトの行動を決めるのは、いくつもの複合的要素。
それが脳で制御され、最終的なヒトの行動になる。
一つ一つは、ほんの米粒程度のモノかも知れない。キチッと削ぎ落とせば、大したモノなどないのかもしれない。
とても大きなモノに感じても、その実とても小さいモノ。ただ、脳はとても自由で、不確か。
その不確かな中で、米粒程度でも、頑なに存在するモノは、とてつもない存在感になるのだと思う。
ヒトはいつも、とても揺れている。仕方がない、行動を決めるのはいくつもの要素。その中でとても揺れる。
揺れて迷って、急かされて、仕方なく答えを出す。それはだいたい間違っている。しょうがない。それでイイのだと思う。間違いながら、一歩ずつ進んでいくしかない。それしかないと思う。