えすかれーしょん

ぎじ

ぎじ

沢山の仕事をしている。

脳は沢山の仕事をしてくれている。

夢を見るのも、脳の仕事。ただ、夢は現実ではなく疑似体験。

疑似というコトは作り物。脳は、現実の世界をマネて、イメージを作り出している。

脳は、現実世界のように、頭の中で疑似として再構成して作り上げてしまっている。

ヒトは、様々に思うコトが出来る。この思うという行為は、脳が作り出すのだろうか。

おそらく、ヒト以外の動物も、思いはある。では、脳のない動物は、ナニも思わないのだろうか。

脳の始まりは、神経回路だと聴いたコトがある。痛みの刺激を、知らせる為の神経。それの集合体。

その集合体が、思いを作るのだろうか。脳が作っているとしたら、思いとは疑似なのだろうか。

脳のない生命も、生きる為に必要な、衝動を持っている。

衝動に沿って、行動していく。確かに脳のない動物なら、場当たり的に行動しているので、もしかすると思いはないのかもしれない。

思いというのは、衝動から行動を起こす、間にあるような気がする。

行動を起こす前の、予行演習。それによって、衝動をおさえて行動をする。たしかにそれなら、衝動と行動の間で、予行演習出来る。

衝動だけでは、相手に迷惑をかける。相手にも都合というモノがあるので、それは考慮しなければイケない。

そこで、脳の中で擬似的にシミュレーションして、安易な行動を押さえているのかもしれない。

とすると、やはり思いというのは、脳がある動物だけが持つ機能。

脳があって、擬似的にイメージを作り出せるモノのみというコトになる。

衝動も、生きる為にはとても必要なモノ。思いは、この衝動と行動の間に立って、その両方をサポートしている。

ただ押さえるだけではなく、衝動も立てて、行動も立てて、その間を取り持つ。

予行演習をして、慣れていく。そして、予行演習で、衝動のガス抜きもする。

思いは、相手がいる高度な社会で、幸せに生きていく為のシミュレーションシステム。

この自由な疑似世界。その思いというシステムは、脳のない動物には無いと、結論づけたい。

-えすかれーしょん