えすかれーしょん

わざわざ

わざわざ

カラダが重い時。

カラダが重い時がある。ナニもしたくないと思う。

無理からカラダを動かし、わざわざする。

考えれば、誰かが自分の為にしてくれているコトは、全てわざわざしてくれているコト。

呼吸や排泄以外なら、全てはわざわざやってくれていると考えてイイ。

呼吸や排泄は、自分の為にやっているコト。ヒトのためにやっているワケではない。

それ以外は、わざわざで、それで社会が成り立っている。

社会のイチ役割。それは、他のヒトのための、わざわざの行為。

生まれた時から、そこに当然のようにあるので、当たり前のように感じてしまう。

確かにその一面もある。それほど意識するモノではないのかもしれないとも思う。

ただ、身の回りにあるモノは、誰かがわざわざ作ってくれたモノ。それに囲まれて生きている。

決して自然に湧いて出てきたモノではなく、天から降ってきたモノでもない。

身近にあるモノでも、呼吸や排泄のように、消費の結果生み出された不要なモノが転がっているコトもある。

つまりゴミが転がっているコトもある。これは、身勝手の結果のモノ。

身勝手なモノ以外なら、わざわざ。

今まで自分のしてきたコトも、身勝手なのか、わざわざなのか。そう考えると、かなり身勝手なコトばかり。

世の中に、そうとう身勝手をバラ巻いてしまったような気がする。

社会というのはありがたい。わざわざ誰かの為に、やってくれている。

身勝手なモノも混ざってはくる。それも、ヒトだからある程度は仕方がない。意識出来るようになってから、反省すればいい。

自分を振り返っても、沢山身勝手をやってきた。とても恥ずかしい、沢山反省しなければイケない。

社会は沢山問題もあるが、案外捨てたモノでは無いとも思う。これだけ沢山の、わざわざに溢れている。

何も知らないだけかもしれない。わざわざを知れば、ありがたいコトばかり。それを返さなければと思う。

社会のイチ役割になって、誰かの為にわざわざを、返していかないとイケない。

そうして社会は出来上がっている。身勝手なダメなモノもあるが、そればかりではない。よく見て、見極めて、自分も沢山のわざわざを返していきたい。そう思う。

-えすかれーしょん