あまやかす
迷惑をしだす。
甘やかされた者は、迷惑な行動をしだす。
なぜそうなっているのか。甘やかされていても、迷惑行為などしなければいいのにと、思う。
もしもチカラがなければ、ヒトにダメージを与えるコトも少なくなる。
迷惑をかけるというのは、それなりにチカラをもつ状態になってからと言える。
さらに、近くにヒトがいなければ、他に迷惑をかけるコトはない。
とすると、ある程度近い距離に、他のヒトがいる場合に迷惑行為は、生まれると考えてイイ。
まあ、これだけヒトが沢山居る。その中で、それぞれが好き勝手に動けば、そりゃ、ぶつかりもする。
でも好き勝手に動けないとなると、自分の考えとは違う、何かによって制限されるコトになる。
制限は、とても不自由で、自分ではなくなる。自分が自分である為には、行動は自由でなければイケない、
自由でなければ、ロボットと同じ。意志を持たず、命令通りに動くだけ。
ロボットの社会では意味がない。たとえうまくいったとしても、それは決まり切ったその通りに、ただ動いているだけ。
ヒトがヒトである為には、一人ひとりに自由が許されている必要がある。
としても、大人数であるほど、自由に動けば衝突が生まれる。衝突が生まれてしまうと言う前提で、そうならないように、行動しなければイケない。
一人ひとりが、判断し、気をつけて行動する必要がある。
これが、甘やかされてしまうと、ルーズになってしまうのかもしれない。
判断は、脳で決められる。脳は、過去の記憶から、やって良いか悪いかを判断する。
やって良いか悪いかは、”痛み”と、“信頼”で成り立つ。
悪いコトをすると、痛みを受ける。そして、信頼してくれている人を裏切る。この二つ。
痛みを受けたくない、裏切りたくない、それが判断をさせ、行動にブレーキをかける。
甘やかされると、痛みの部分が不足する。信頼を裏切りたくないというのは、あると思う。
痛みがないと、行動にブレーキが利きにくい。怖さが無くなり、軽く考えるようになる。
悪い=痛いコトではなくなり、そのコトで信頼を裏切るというのも、気づかなくなる。
甘やかされたヒトは、痛みを知らず、悪いコトと感じるコトも弱くなる。
もしも子供の頃に、痛みで悪いと知らせなければ、大人になってから教えなくてはイケない。
困るのは、大人になるまで許されていたモノを、今更変えるというのは、とても難しいというコト。
それでも出来ないワケではない。大人になってからでも、痛みを与えれば、ブレーキを作れる。
ただ、大人なので、強い痛みが必要。さらに、それを素直に受け入れるかという懸念もある。
出来れば、子供の頃に甘やかさない方が、あとあとラク。
悪いコトに対して、痛みを与えるというのは、沢山のヒトが暮らす社会では、絶対に必要になる。
ヒトが、ヒトである為に、自由でなければイケない。その為に、痛みで分からせるコトは、判断の基礎作りでの重要なチェックポイントと言える。
必ず通らないとイケない、チェックポイント。自由でも、判断して迷惑をかけないように心がける。それはヒトである為に、必須と思う。