のろい
すがりつきたい。
大きな存在に、すがりつきたがる。
ヒトは大きな存在にすがりついて、安心や恩恵を得ようとする。
とても大きくて絶対のモノを、求める。それは宗教。あがめ奉ることで、その恩恵を得る。
これは人間が求める、本質的なモノ。神仏、王様、そして国、対象は大きければ、何でもかまわない。
国や、国家というのも、実はその人間の欲求、宗教と考えてイイ。
国というのは、タダの機関に過ぎないのに、ヒトの欲求がそれ以上のモノに、してしまっている。
国なんて、あがめ奉るモノでも、すがりつくモノでもない。
それを宗教として、大きな存在にするには、あいまいさで包み込む必要がある。
ある程度、ウソやまやかしで水増ししないと、偉大な存在にはならない。そのままでは、貧相すぎる。
国や国家というのは、もともと統治や支配を目的とした、システム。
とても血生臭く、未熟で原始的なシステム。それゆえに、戦前や戦時中は、国を境に敵と味方という意識を、短絡的に植え付けていく。
そして“お国”という、絶対的で大きな存在を作り、国民はその宗教に知らず知らずのうちに、呑み込まれる。
まだその呪いの中にある。大日本帝国の呪い。統治、支配の呪い。
その呪いから、解き放ちたい。国を、貧相であっても真実の姿に戻したい。あるべき姿にしていきたい。
そのためには、国という名称は改めた方がイイ。国ではなく、枠。
日本枠、アメリカ合衆枠、中華人民共和枠。枠になっても、実質的な機関としてのシステムは、何も変わらない。
ただ、あいまいで、水増しされた部分を取り除いただけ。真実のカタチに戻しただけ。
枠に代えても、日常生活が何も困るモノではない。ただ、宗教だと思っていたヒトは、枠に変えるコトに罪悪感を覚えるハズ。
崇めていたモノを、裏切った罪悪感。ただ、それはもともとおかしなモノ。まやかしの中でしか通用しないモノ。
罪悪感が強いほど、大きな存在にするべく、水増ししていたというコトが言える。
まだそんな呪いの中にある。それは全てまやかし。
ヒトが本質的に欲しがる欲求、卒業するのは難しいかもしれない。ならば知った上で、どうするか決めて欲しい。
ヒトはとても不安。それで大きくて絶対的なモノに、すがりしがみつく。そのひとつが国家、国。
国家や国は、ただヒトが操る機関で、絶対的な大きな存在ではない。それを大きな存在にしようとすれば、全てまやかしと言って間違いない。それは宗教。そして呪いと言っていい。
それでもなお、国にしがみつき、すがりつくなら仕方がない。お好きなように。
どちらでもかまわない。いずれ時が満ちてから、変わればいいという話になるだけ。