こうてい
わかろうとしても、わからない。
そうして、自分を否定する。
わからないコトが、イケないと思っている。いつからか、わからないコトは、罪悪と植え付けられてしまっている。
それでわからないコトを、ごまかしたりもする。
わからないコトへの焦りは、苛立ちに変わり、自分や他人を責めていく。まるで意味のない、無駄な行為。
わからなくてもイイ。わからないを肯定するべき。
冷静に判断すれば、わからないのは足りないから。穴があるから。それでわからない。
足していけばいい。穴を埋めればいい。ただそれだけのコト。
焦る必要もなければ、苛立つ必要もない。わからないコトは、罪悪ではない。
わからないは、ゼロ地点であり、そこからわかっていけばいいだけ。ゼロ地点を否定すれば、その先の道は閉ざされる。
わからないを確認すれば、自分が次に何をすべきかが見えてくる。
わかろうとする状態は、脳の細胞が触手を伸ばしている状態。全力で探している状態。
わからないを肯定していけば、触手はどんどん伸びて、探し回る。これが大切。
無論、わからないままで、良いわけではない。肯定した後、わかろうとする必要がある。
わからない状態は当然とし、触手を伸ばしてわかろうとする。その時はわからなくてもイイ、いずれ脳の触手達が、答えを見つけてくれる。
やるべきコトは、触手達に良かれと思うエサを、与え続けるコト。
わからないコトへの罪悪感、焦り、苛立ち、これでは脳の触手達に、まるでエサを与えない。
脳はとても欲しがっている。わからないを肯定して、そこからどんどんエサをやるだけでいい。それで脳はいずれ、求める所に辿り着く。