いっこ
恐怖がつきまとう。
命は一個しかない、それで恐怖がつきまとう。
ぶら下げている命が落ちれば、死んでしまう。
そうならないように、何かを喰らい、何かを奪いして、生きている。
どんなに文明が進んでも、それは変えるコトが出来ない、ヒトの宿命。
ただ、命がいくつもあったとしても、それはそれで、途端に大事にしなくなる。
ひとつだけぶら下げているので大事だが、いくつもぶら下げた段階で、軽いモノになってしまう。
同時に、命を落とす恐怖が、薄らいでいくのも事実。いくつもあれば、恐くなくなる。
恐くなくなれば、自分の命で遊びだす。自分を傷つけて、楽しみだす。
命がひとつであるのは、とてもキュウクツで、身動きがとれないが、それでも傷つけて楽しみだすよりは、いくらかマシ。
それでもヒトは、命をかけて争い続けてきた。
恐怖からくる防衛意識。その結果の、殺し合い。恐怖はいつも、短絡的な発想しか生まない。
こころとは違うカタチで、従いだす。いつの間にか、安易に従ってしまう。
命がひとつであるコトによる恐怖のハズが、従って、そして殺し合いまで始めてしまう。
みんな違和感はあるハズなのに、シッカリとした分析を元に、行動しているわけではないので従ってしまう。
ぞろぞろと違和感を感じながら、間違いを重ねていく。
現代社会では、命を奪われる可能性は、非常に低くなっている。それでも、無いわけではない。
とうぜん普段の生活には、殺し合いは入ってこない。殺し合いなど、生活していく上では不必要と言って間違いない。
出来ればこのまま、殺し合いの部分は、切り離してしまいたい。そこの部分だけ、キレイに取り除きたい。
そのためには、他のヒト達もたったひとつの命をぶらさげているコトを、深く刻みつけたい。
そしてそれを失うコトに、恐怖を抱いているコトを、前提としたい。
恐怖を与えてはイケない。恐怖でヒトは、正気を失う。それぞれの恐怖の共有。それが、殺し合いだけ取り除く、近道。