こうど
いずれ自分もと、考えるコト。
自分のコトとして、捉えるコトが、高度な社会へと繋がっていく。
障害で、カラダが動かない状態がある。
それは健康な人でも、病気や事故で、明日からでもなる可能性のあるコト。
自分が、体が動かなくなるコトは、充分にあり得る。
その時に、社会はシッカリと準備してくれているかがわかる。
不便を感じる所で、とても気の利いたフォローがあれば、それはとても高度な社会だといえる。
でも、現実はそうではない。それどころか、障害は不幸と捉え、その重さからみんな逃げてしまっている。
ザンネンだが、受け止めるコトが困難で、他人ゴトにして見ないようにしている。
それは仕方がないコトかもしれないが、それはスタートの段階のままと言える。
いっぽ、そして次のいっぽを踏み出して、少しずつ高度な社会が実現していく。
どんな状態に、自分がなったとしても、楽しく生きられるような社会。その仕組み。
それこそが、高度な社会。
どんな状態になっても、どんなにダメになっても、社会や他のヒトが、ちゃんと支えてくれるシステム。それが欲しい。
自分のモンダイとして、行動をしていく必要がある。逃げてはイケない。目を背けてはイケない。
逃げて拒絶して、それで気は済むが、何の解決にもならないし、何より自分がうまく行かない状況になった時、どれだけイヤな社会か、初めて気づくようになってしまう。
自分がなって、初めて気づくようでは遅すぎる。その前から、自分のコトとして、捉えなければイケない。
そして少しでも、明るく前向きに生きられるように、フォローして行きたい。
出来ないコトはしなくてもイイ。出来るコトだけを、集めるだけでかまわない。
何よりも大切なのは、居場所があるコト。許しがあるコト。それだけでも、生きやすくなる。
拒絶は、世界を地獄に塗り替える。すべては、自分のコトと、捉えるべき。それで、住みやすい社会になっていく。
どうしても逃げたくなる。どうしても他人ゴトにしたがる。でも、もう逃げるのは、やめたい。自分のコトとして、せっかくのその健康な体を、役立てたい。